“A Case of Identity” 「花婿の正体」の中で、ミス・サザーランドはホームズに義父が外出をさせたがらない、どこに行くのも反対すると訴えます。義父は、女は家庭にいろというのが口癖だが、彼女はそもそも自分の家庭がないのに、と反感を抱いています。亡き父の友人から舞踏会のチケットが送られてきたが、義父はそれに参加させたくなかった、そもそもどんな会合への出席もいやがっていたという説明は、過去のできごとなので、過去形で話していますが、ここで突然「仮定法過去」、つまり「現在に対する仮定」を語ります。
He would get quite mad if I wanted so much as to join a Sunday-school treat.
私が日曜学校の催しに行きたいと言おうものなら、義父は狂ったように怒るでしょう。
これは仮定法ですから、彼女は日曜学校の催し(Sunday-school treat)に行きたいと実際には言っていないのです。過去の仮定ではなく現在の仮定になっているので、昔もダメ、今もダメ、そしておそらく将来もダメだろうと、もう諦めていることが暗示されます。
この文の次に、彼女は舞踏会には義父がどれだけ反対しようと出る決意だったこと、義父に止める権利はないと思ったこと、実際に出席した、という話をします。
どっちのイベントが無理な要求か?
日本人的に考えた場合、話が逆で「舞踏会に出たいとまでは言えなくても、日曜学校の催しぐらい出ていいだろう」の間違いのような気がしませんか?
念のために、日本の翻訳を確認してみると、下のようになっていました。(強調は引用者)
私が日曜学校の娯楽会へ行きたがるのにさえ、むきになって反対する人です。 新潮社
日曜学校の慰安会に行きたいと言っただけで、かんかんになって怒るでしょうね。 光文社
日曜学校の慰安会へ行きたいと言っても、頭から湯気を出して怒るんじゃないかと思いますわ。 早川
日曜学校の慰安会にゆきたいといっても、きっとかんかんになって怒りだすでしょう。 創元社
わたくしが、日曜学校の接待会などに行きたいと申しましただけでも、本気で反対するような人です。 河出書房
きっと、日曜学校の催しにいきたいといっても怒ったと思います。 角川
日曜学校に行くのさえ、カンカンになって怒る、という訳になっていますね。つまり「日曜学校の催し」=「許されてもよさそうなイベント」と判断しているようです。しかし、それなら、舞踏会には出ると決意を固めるのは不自然ではないでしょうか。
「合コン」VS「結婚式の二次会」
現在の日本に置き換えて考えると、父が反対するので「友人の結婚式の二次会」にさえ行きたいなんて言えない、とあきらめている娘が、何が何でも「合コン」に行くと決意するのは変です。「合コン」に行きたいとまでは言えないが、「友人の結婚式の二次会」ぐらい行ってもいいだろう、ということであれば筋が通るはずです。
考えてみると「日曜学校の催し」と「舞踏会」、どちらも一般的な日本人には縁が薄いイベントです。両方出席したことがある日本人がどれくらいいるでしょうか?ただ、文字だけを追うと「日曜学校」は「日曜礼拝」+「学校」っぽく読めて、ずいぶん堅苦しい感じがします。まさか、こっちが「合コン」的なイベントには思えません。
“Sunday-school treat”
では、実際の “Sunday-school treat” というのはどんなイベントだったのでしょう? “treat” を辞書でひいても、「ごちそう」というような意味しか出てきませんが、BBCの、ヴィクトリア朝の「レジャー」の説明のなかに、当時の treat の説明がありましたので、引用します。(強調は引用者)
Outings and Treats
At weekends, families might go to the park, and listen to a band. Crowds would gather round the bandstand to enjoy the music. Zoos were popular too. Children rode on elephants and camels, and watched the lions being fed.
(この時代に人は)週末に、公園に行ってバンドの演奏を演奏を聴いたりした。音楽を楽しみたい人がバンドの周りをぎっしりと取り囲んだりした。動物園も人気があった。子供は像やラクダに乗ったり、ライオンが肉を食べるのを見物した。
だいぶイメージが違いますね。「ごちそう」のイメージを裏切る「屋外イベント」ですし、音楽に動物園、にぎやかで楽しそうです。家にこもっている女性なら行ってみたくなっても不思議じゃないでしょう。
時代はだいぶ下りますが、bfi.org.ukに1939年の写真がありました。(先頭の写真は1906年です)
まるでお祭りみたいですね。これなら、男女の出会いもありそうです。おそらく地元の人が多く集う大きなイベントだったのだと思います。それに対して、プライベートな催しの舞踏会(ball)は、比較的地味なイベントだったのでしょう。そもそも「舞踏会」という訳語が大げさ過ぎるのかもしれません。向こうでは、何かと言えばすぐダンスですから、一口に ball と言っても、王様が主催するような大規模な「舞踏会」だけではなく、もっとカジュアルでファミリーなものも多かったと思います。そんな会の出席までいちいち禁止するのは、いくらなんでも横暴だ、という気持ちはよくわかります。
日本のテレビドラマ「花子とアン」でも、寄宿舎の女学生が日曜学校に来る男子学生を結婚相手として品定めするシーンがありました。時代や地域によって違うので一般化はできないでしょうが、独身の男女にとって日曜学校は昔から貴重な出会いの場だったのかもしれません。