「バスカヴィル家の犬」美しい花にはトゲがある

「バスカヴィル家の犬」には、美しいと言われる女性が二人登場しますが、そのひとり、ローラ・ライオンズの顔を形容している部分がじつに興味深いのです。

ライオンズ夫人の紹介

新潮社文庫から、ワトソンがライオンズ夫人と初めて会った場面を引用します。

彼女の第一印象は、すばらしく美しいことだった。眼と髪はおなじような薄茶色で、顔にはかなり雀斑(そばかす)がありはしたが、両頬は黄バラの芯にひそむ紅いろに美しくはえて、えもいわれず美しいブルネット型の美人だった。くどいようだが、彼女の第一印象はまったく美しいという賛美の一語につきる。
だが、よく見るとやはり批判すべき点はあった。彼女の顔にはどこかおもしろくない趣(おもむ)きがある。表情になんとなく下品なところがあり、たぶん眼つきだろうが冷たさがあり、ことに口もとにしまりのないところは、なんといっても玉にきずである。しかしこれはむろん後でうまれた批判である。そのとき私は世にも美しい婦人の前にいて、彼女が私に来意をたずねていることしか意識しなかった。

この内容を整理すると、つぎの3点になると思います。

  1. 彼女はものすごく美しい
  2. しかし小さな欠点がある
  3. 訪問中はそのわずかな欠点に気づかなかった

じつは私も最近までこのように読んでいました。また、手元の文庫本をみるかぎり、ほかの翻訳も表現の違いはあれ上の3点はおなじです。しかし、この理解はおそらく根本的に間違っていると気づいたので、原文をもとに順を追って説明したいと思います。

ライオンズ夫人の描写

The first impression left by Mrs. Lyons was one of extreme beauty.
ライオンズ夫人の第一印象は、極度の美女だということだった。

ここで、beauty(美人) の前に extreme という形容詞がありますが、これは美女の形容に必ずしもふさわしくありません。extreme で頭に浮かぶのは、extreme penalty(極刑), extream poverty(極貧), extream right-wing(極右) など、あまり美女につながる内容ではないのです。もしかすると、すでにここに批判の芽があるのかもしれません。

Her eyes and hair were of the same rich hazel colour, and her cheeks, though considerably freckled, were flushed with the exquisite bloom of the brunette, the dainty pink which lurks at the heart of the sulphur rose.
彼女の目と髪は同じ深みのあるハシバミ色で、頬は多量のそばかすがあったが、ブルネットの繊細な赤に染まっていた、黄バラの一番内側にひそむ優美なピンク色だ。

じつは最初に変だと感じたのは「黄バラの一番内側にひそむ優美なピンク」という部分です。こんな比喩表現はコナン・ドイルっぽくないのです。もっとマッチョで即物的な表現をする作家と感じていたので、シュワちゃんがオネエ言葉を使っているような違和感を覚えました。人が妙なほめ方をするときって、だいたい怪しいですよね。

Admiration was, I repeat, the first impression. But the second was criticism.
賞賛したのは、もう一度言うが、第一印象だ。しかし、第二印象は批判だ。

同じ表現が続くことを毛虫のように嫌う英文にあって、”the first impression” という表現をあえて二度使って、そこに “I repeat” を入れる。このダメ押しは、どう考えても「あくまでも第一印象にすぎない」という言い訳、撤回の準備で、つぎにベタな But ではじまる文をつなぐ。「だが違うのだ。その後は」。まるで、お世辞は以上!ここから本音を言わせてもらうぞ、と腕まくりしている感じですね。

There was something subtly wrong with the face, some coarseness of expression, some hardness, perhaps, of eye, some looseness of lip which marred its perfect beauty.
彼女の顔には、なんとも言えない邪悪さがあった。がさつな表情、冷ややかさそうに見える目つき、しまりのない口元、これらが完璧な美をぶちこわしていたのだ。

この文で「疑惑が確信」に変わりました。女性の顔に something wrong なんて、よくも書いたものです。ugly より侮蔑的ではないでしょうか。この wrong は精神のゆがみ、つまり悪を指すと考えていいと思います。その後につづく「がさつな表情」「冷ややかな目つき」「しまりのない口元」はいずれも、最初にほめちぎった顔の形や色彩には一切ふれていません。つまり、外見は第一印象から訂正されていないのです。問題は内面、完璧な美の顔からにじみ出る邪悪、なのです。mar という単語は「ぶちこわす」「だいなしにする」という意味で「玉にきず」どころではありません。非の打ち所のない美人だが、心が腐っているということです。

But these, of course, are afterthoughts.
しかし、これは、もちろんだが、後でわかったことだ。

この文も最初は、なぜ印象の修正にそんなに時間がかかるのかと不思議でしたが、初対面の人物に対して、ただちに「根性が腐っている」と見破れるはずがない。話をしてみて、後で印象をまとめ、やっぱりあの女はおかしいと思い直す、これで意味が通ります。

つまり、新しい読み方をまとめるとこうなります。

  1. 彼女は極端に美しい
  2. しかし心は性悪だ。
  3. 後になって考え直すと、悪がにじみ出て美しい顔が台なしだった

けっきょく、このパラグラフはローラ・ライオンズを褒めそやしているのではなく、見た目に隠された性悪さをこきおろしているのです。この枠組みを理解してから「黄バラの一番内側にひそむ優美なピンク」の表現を考え直すと、これは詩的な表現ではぜんぜんなく、遠回しの性的なほのめかし、女の色香を利用する悪女を暗示しています。表面と内側の色が違う黄バラを持ち出したのは、顔を賛美すると見せかけた、外見を裏切る精神への辛辣な批判です。コナン・ドイルにしては軟弱だと感じた表現は、案の定、裏があり、エロテックでグロテスクな毒が仕込まれていたのです。

試訳

初めてライオンズ夫人を見た瞬間、ただならぬ美人だと感じた。目も髪も、深みのあるハシバミ色で、頬はソバカスが多かったが、ブルネット特有の見事な赤に染まっていたーー黄バラの花弁の中央で息を潜めている紅の色だ。念のために言えば、これは初めて見た瞬間の印象で、あとで考えると、その顔にはうさんくさい影のようなものがあった。やや下品な表情、なんとなく挑戦的な目つき、どこかみだらな唇、完璧な美貌が台なしだ。もちろん、それに気づくのは先の話で、会った瞬間はただ、目の前にいる傾国の美女が私に「なんのご用でしょう?」とたずねていること以外、何も考えられなかった。

だから「第一印象」を繰り返したのか

ワトソン先生、舞い上ってますね。つまり、このとき悪女の魔性にまんまとたぶらかされていたわけです。このシーンの直後に不適切な話の切り出し方をしますが、それは冷静さを欠いていた証拠。ホームズの代理人としては致命的な失態です。だから、ワトソンは最初からムキになって「だ、第一印象だけなんだからねっ!」と、しつこい言い訳をする必要があったのです。コナン・ドイルは、こういう劇中劇ならぬ、作家中作家の扱いが巧妙ですね。

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