「ノベル」を書き起こす作家にとって、一文目は極めて技巧を凝らす場所です。読んだことがなくても、一文目だけは知っている小説も少なくないでしょう。「我が輩は猫である」「木曾路はすべて山の中である」「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」ここまでぜんぶ日本文学ですが、もちろん海外文学でも「アンナ・カレーニナ」「クリスマス・キャロル」「高慢と偏見」など、冒頭一文が人口に膾炙する作品も数多いのです。
「バスカヴィル家の犬」冒頭
「バスカヴィル家の犬」はそこまで有名ではないものの、かなり意味深な始まりの一文です。
MR. SHERLOCK HOLMES, who was usually very late in the mornings, save upon those not infrequent occasions when he was up all night, was seated at the breakfast table.
シャーロックホームズは、たいてい非常に朝が遅いのに、ーーちょくちょく徹夜するのを除けばだがーー、朝食用テーブルに座っていた。
まず、「バスカヴィル家の犬」のタイトルに「シャーロック・ホームズ」という言葉がありませんから、だれが主人公か不明です。そこで、まずドンと MR. SHERLOCK HOLMES を主語に持ってきます。読者の待ち望んだ、絶対の主人公ですから、一文目の頭を押さえて当然です。そして、普通は朝寝坊なのに(ただしよくやる徹夜をのぞく)ワトソンより先に朝食用テーブルに座っていた。これが一文目です。
よく読めば、ここにすでに謎があります。なぜ、ホームズはいつもと違う行動をしたのか?続く文にその説明はありません。しかも、ちょくちょく徹夜すると書いてあるのですから、素直に読めば、ワトソンは、ああホームズは徹夜をしたんだな、と考えるのが普通でしょう。なぜ徹夜だと思わないのか?この文は、ワトソンが読者をあざむいているか、または、ホームズがワトソンになにか隠しているか、あるいは、その両方だということを暗示しています。
ホームズの罠
謎はまだ終わりではありません。ワトソンが昨夜の客が置き忘れたステッキを調べているのに気づいたホームズは、ワトソンに推理してみるように言いますが、推理させた後、ワトソンからステッキを取り上げて自分で調べます。これもおかしい。ワトソンでさえ気づくステッキを、ホームズが朝食の席につく前に気づかないことなどありえません。おそらく、昨夜の時点でステッキに気づき、調査していたはずです。そして、この客は大事なステッキを忘れたので、次の朝早く再訪すると推理したからこそ、早起きしていたのです。ワトソンだって、それに気づかないほどおろかではないでしょうから、あえて「徹夜じゃないけど早く起きていた」と妙にぼかした書き方をしているんだなと、読者は薄々感じとることができるのです。
ステッキをワトソンの目につく場所に置いていたのも、もちろん意図的です。ワトソンにステッキを調査させるのは、あとで彼をダートムアに派遣させるための予備試験ですから、恐るべきことに、ホームズはすでにこの時点で、事件の進展をかなり先まで見通していたように感じられるのです。コナン・ドイル、大嫌いなホームズ物なのに本気で書いていますね。
ホームズがワトソンの行動に気づいたときの会話がこれです。
“How did you know what I was doing? I believe you have eyes in the back of your head.”
“I have, at least, a well-polished, silver-plated coffee-pot in front of me,” said he.
「なんでやっていることがわかったんだ? 君の頭の後ろには、絶対に目がついてるな」
「まあね。そこまでいかなくても、このピカピカに磨いてあるコーヒーポットが僕の目だ」彼は言った。
言うまでもなく、コーヒーポットでワトソンの行動をのぞくのは、あとでダートムアにカートライトという少年を連れてきて、彼を「別の目」にして、ワトソンを見張ることの前触れです。
より深い考察
ここまでは、普通の読者でも想像できるでしょうが、The Hound of the Baskervilles (Oxford World’s Classics)で、W. W. Robinson は次のように、さらに踏み込んだ考察をしています。
The character of Holmes, from the brilliant opening onwards, is expected to be recognized by the reader of the Hound as already a familiar quantity. His remoteness from other people is subtly conveyed right at the beginning, when he stares at the coffee-pot, establishing himself as one of those who, in Gerard Manley Hopkins’s words, ‘in smooth spoons spy life’s masque mirrored’.
この部分は、シャーロック・ホームズ全集5 バスカヴィル家の犬 (河出文庫)で翻訳されていますが、目を疑う訳です。
≪バスカヴィル家の犬≫の読者は、華々しい物語の幕開けから、お馴染みとなっているホームズの性格が現れると期待している。彼が他の人物から隔絶した存在であることは、冒頭の部分から微かにではあるが、正しく読者に伝えられている。
この訳文ではおそらく、文意が通じないと思います。
1文目の “is expected to be recognized by the reader” を「読者は、(中略)期待している」と訳しています。be expected to … は「…だろう / …と予想できる」で「読者に認識されるだろう」です。また「正しく読者に」伝えるというのも、道徳の教科書みたいです。この文の right は「正しく」ではなく、right at the beginning 「開始早々」と読む方が自然ではないでしょうか。それもまあいいとしても、肝心の when 以下を訳さないのはだめでしょう。
ジェラード・マンリ・ホプキンス!
「バスカヴィル家の犬」の読者は、すばらしい冒頭部を読む時点から、もうホームズのキャラクターが、従来のイメージどおりだと理解するにちがいない。彼の超然とした性格が、幕開け直後にさりげなく出ているのは、ホームズがコーヒーポットを見つめる場面で、このとき彼はジェラード・マンリ・ホプキンスの詩にある「磨かれたスプーンに映る人間たちの仮面劇をのぞき見る」特別な立場にいるのだ。
残念にも邦訳されなかった部分を含めて訳してみましたが、シャーロック・ホームズの視点をジェラード・マンリ・ホプキンスの詩と関連づけた点を興味深く読みました。ただ、こんな難解詩を解説なしにさらっと持ち出すなんて!イギリス人って、”in smooth spoons spy life’s masque mirrored” と引用しただけで、人間社会を外から見ているらしい詩の一節だと、すぐにわかるんでしょうか?マジですか?たしかに、イエズス会修道士のホプキンスは生涯独身で、修道士たる自己は「人間界」から自由であると見ているような部分に、ホームズと共通項がありそうですけどね。これはもう、手に負えるテーマではありません。勉強して出直します。
I Wake and Feel the Fell of Dark
私は目覚め闇の苦さを味わうージェラード・マンリ・ホプキンス