外国語として英語を勉強している人は、一度は「いくら努力したってネイティブにはかなわないんじゃないか」と思うことがあるでしょう。英語が母語の人間にとって英語を失うことは社会的な死に近い。いっぽう日本人は英語ができなくても幸せに生きていけます(例外あり)。つまり、相手はプロ、こっちはアマ、実力に差があっても当然です(例外あり)。
無駄 無駄 無駄!無駄ぁぁ
このブログでは、手間をかけてシャーロック・ホームズの読解をしているのですが「そんなの、イギリス人にきいたらすぐにわかるだろ。時間の無駄じゃないのか?」と思う人もいるかもしれません。ところが、そうでもないのです。細かい読解となると、そもそも疑問に思っているポイントが何なのか、説明自体が難しいことが多いですし、たずねても、ピントはずれの回答が返ってきたり、相手によって意見がぜんぜん違うことも珍しくありません。けっきょく、自分で調べて納得できる解釈を見つけるのが一番です。たとえ間違った結論になるとしても、自分でよく調べて考えるほうが「納得できないけど、ネイティブの言ったことだから間違いないんだろう」と、うのみするより健康的だと思うようになりました。言語は多面的なものなので、勉強は無駄になりません。もちろん、他人の意見を軽視しろというのではありませんし、実力の差を正しく認識しておくのは大切です。それでも、ネイティブの意見を「葵の御紋の印籠」のように、無批判に受け入れる必要はないということです。
ロンドンっ子 VS 純ジャパ
長い前置きになりましたが、じつはシャーロック・ホームズの解釈について、イギリス人の見解とまったく違う結論に達している部分があるのです。あなたはどちらを信じます?ちゃきちゃきのロンドンっ子の意見か、それとも純ジャパの読解か。
その場所は、シャーロック・ホームズ・シリーズ最後の長編「恐怖の谷」の冒頭、ワトソンがホームズに話しかけ、その返答に温厚なワトソンがキレそうになる会話です。
“I am inclined to thinkーー” said I.
“I should do so,” Sherlock Holmes remarked impatiently.
このホームズの返答を聞いたワトソンは「自分はかなり我慢強いほうだが、ここまで冷笑的な割り込み方をされて、むっとした」のです。しかし、ワトソンは、そもそもホームズからボロカスに言われるキャラで、これまでもかなりひどい言われ方をしています。そのワトソンをして、イラッとさせるホームズのホームズの一言を各文庫から見てみると、下のようになっています。
「僕だって考えるさ」 新潮社
「僕だって考えるさ」 光文社
「思うだけなら、ぼくだってやってる」 創元社
「ぼくがそうすべきなのだ」 河出書房
もっと直接的に、バカ呼ばわりされたこともあるワトソンが怒り出すほどの言葉でしょうか?
ヒンディー語訳でも疑問あり
この部分の翻訳が微妙なのは、日本語だけではないらしく、ある掲示板で、「ヒンディー語版の翻訳によると、ホームズの言葉が『考えるのは僕に任せてくれ』『考えるのは僕の仕事だ』のようになっているが、原文を読むと違うように感じる。間違っているのは、自分の読み方か、それとも翻訳か?」という質問がありました。質問者自身、これだけの英作文ができるのに、それでもわからないのです。それに対して、ロンドン在住の英語が母語の人が次のように解答しています。
ホームズは「I(ホームズ)」が should do so するとは言っていません。”if I were you, Watson, I would do so”(もし僕が君ならそうする)、つまり彼はワトソンにそうするように助言しているのですーthink しろと。ワトソンは、’think’を一般的な意味のひとつ、”believe; have an opinion”(信じる、意見を持つ)の意味で使っています。ホームズはこれを逆手にとって批判しているのです。なぜならホームズはワトソンがじつは本当に think していないと知っているからです。(これはthinkのもうひとつの意味”reason; concentrate; work out”(意味を考える、集中する、結果を出すという意味での think です) ホームズは、”意見を持つだけじゃなくて、まじめに考えろ” という意味で言っています。
おそらく、’think’ の二重の意味をつかったシャレは、ヒンディー語の翻訳者には使えなかったのでしょう。そのために、表現が不正確になったのだと思います。
地道な構文解釈
ロンドンっ子の回答を地道に構文解釈をします。まず、 “I should do so” を、いわゆる “if なし”の仮定法だとあっさり見抜いているのはすごいです。日本語もヒンディー語も仮定法的には訳されていません。明らかに一歩前進です。次に do を think とみなしています。それ以外の動詞はないので、当然でしょう。では so は?とくに説明されていません。問題なのは、続く”Sherlock Holmes remarked” の remark(意見を述べる)です。いったいホームズは何に対して remark しているのでしょう?ワトソンの言葉の中で remark の対象となりそうなのは、think だけですから、ワトソンの「考え方」について「意見する」と理解して、おなじ think でも、別の think をしろよ!と remark したのだ。なるほど。これで解読の過程がわかりました。では so は?おそらく「僕のような思考方法」とでもいうことでしょうね。
これでいいのか?
さて、上の説明で納得できますか?ネイティブ絶対というなら、だまって納得しましょう。もちろん、これが正しい説明なのかもしれません。でも、スッと腑に落ちないのです。意味の通らない英文と格闘した経験があればわかると思いますが「アッ!そういう意味だったのか!」と、ガラスの割れるような音と共にやってくる、心地よい啓示がこの説明にはないのです。しかも、長編の冒頭2文という大事な場所ですから「think のシャレ?それだけ?」という疑問が残ります。納得するには説明を追加してもらう必要があるとき、それをどう、たずねます?「いまひとつ納得できないんだけど?」とか言ったら、人間関係にヒビが入りそうです。モヤモヤしますね。
では、ほかのネイティブにきいたらどうか?じつは、この回答を見つける前に、アメリカと南アフリカの人にたずねてみたことがあるのですが、どちらもこのイギリス人と似た解釈でした。そして、ホームズの言葉は十分失礼に感じると言います。つまり、イギリス人の回答は「ホームズをあまり知らない英語ネイティブ」の標準的な理解のようなのです。
「お約束」の秘密
ではもう決まりじゃないか。複数のネイティブがそう読めると言っているんだから、それ以上なにを疑うのか?じつは彼らは大事な背景を見落としているのです。ホームズファンでない人間には、想像さえできない大きな前提を。それは「ホームズはワトソンの心を読める」という設定です。例はいくらでもあげられますが、比較的長めの「冒頭読心術」に限っても「ボール箱」「踊る人形」で、ホームズはワトソンの心を完全に読みきり、そして結論を不意にぶつけ、度肝を抜いています。
そんなホームズにかかれば「恐怖の谷」の冒頭部でも、ワトソンの言いたい内容を読み切ることなど朝飯前。ただし、それをひけらかせば、またこのネタか〜と読者に思われる。長期連載はつらい!そこで、ひとひねりしたのが「恐怖の谷」の冒頭です。ワトソンが何か相談を持ちかけようとすると、すべてを読んでいるホームズは、それを言わさずに回答を出してしまう。こんなことをされて、さすがのワトソンもあきれはてて、「おいおい!そんな揚げ足のとりかたがあるか!」と怒り出す。
ひねりは効いていますが、さすがに苦しい。華々しい推理の見せ場がなくなりますし、推理の過程を講義することもできません。なにより、冒頭でホームズがワトソンに教える立場を作れないので、その後がとげとげしい会話の応酬になってしまって、オープニングのトーンがやや陰気になっていると思います。まあ、それを補うためにすぐ話題を変えて暗号解読を始めるのですが。
会話の深読み
冒頭の会話に戻ると、ワトソン:“I am inclined to thinkーー”、ホームズ:“I should do so,” の会話で、回答のイギリス人が、ホームズの do を think と読んでいることを指摘しましたが、常識的にはそれが正解です。do より前にある動詞は think だけなのですから。しかし、ホームズは常識を超えているのです。ここで「踊る人形」と同じようにワトソンが南アフリカ公債への投資を考えていたと仮定しましょう。そうすると、次のように言うはずです。そして、ホームズはこれに返答しているのです。
“I am inclined to think ー(that I shall invest in South African securities.)”
太字の部分がワトソンが言おうとして、邪魔された部分です。このフルセンテンスに対する、”I should do so,” なら、 do は invest(投資する) を意味するはずです。そして so は「南アフリカ公債へ」とかになるでしょう。ホームズの so は、ズバリ、ワトソンの「心中」で、ワトソンもこの so を聞いて「また心を読んだな!」と気づいたのです。
これは著者にも責任あるでしょ
いくらなんでも、遠回しすぎる?そうですよね。ここはじつにきわどいところで、ホームズが詳しく言い過ぎると、あとでその意味を解説しなければならないため、動詞はあいまいな do 、目的語も so ぐらいしか使えないのです。「具体的に何を読んだかは表に出さず、心を読んだことだけ、読者にわからせる」これが、著者の意図です。しかしひねりすぎて、誤読・誤訳が出るのもやむなし、と思います。
会話のやりとりを図示するとこんな感じです。
👨🏽ワトソン→「じつはちょっと…」 🖐🏻ホームズの割り込み→「ぼくなら投資するな」 🗨ワトソンの言いかけたこと→(…投資しようかとおもっているんだが)」 😡ワトソン→「先に言うな❗腹立つわ🖕🏻❗」
ホームズ先生、これはさすがにマナー違反でしょう。いくらワトソンでも、腹が立つのは当然です。言いかけた言葉を盗んで、先に返事をするなんて、人としてどうよ?ってレベル。100年という時代差を考えると、BBC「SHERLOCK(シャーロック)」でカンバーバッチのキャラ作りが決して誇張したものでないことがわかるでしょう。
試訳
「いま、ちょっと考えていることは…」私が、こう言いかけた瞬間、シャーロックホームズが、
「僕なら、それをやるけどね」と、自分の意見で話を切った。
私は、自分でもかなり温厚な性格だと思っているが、あざ笑うように、話を盗られて、正直むっとした。「まったく、ホームズ」私は語気を荒らげた。「君はちょっと無神経すぎるときがあるぞ」
意訳になりすぎないように注意しながら、苦労して訳したのですが、なにも説明せずに、この訳文を見せて「読心術」が伝わりますか?無理かなー。
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