シャーロック・ホームズの描出話法

「話法」は試験問題にしやすいせいか、よく受験にも出てきますね。直接話法と間接話法の変換など、じつに機械的で退屈な学習なのですが、実際に英文を読むとき、話法を知らないと意味がとれない文章はよくでてくるので、学習方法はともかく、覚えていてよかったと思う文法事項でしょう。ただ実際の英文では、間接話法を導く動詞が多種多様だったり、話法の始まりや終わりの部分がわかりにくかったりして、学校英語はあくまでも基本でしかないというのも痛感しますが。

間接話法までは、新聞のインタビュー記事などでも普通に出てきますが、主にフィクションで使われるのが描出話法で、小説のレトリックに慣れていないと、そこに話法が隠れていることさえ気づかない危険性があります。現在、高校英語で習うのか、よく知りませんが、小説を読むならこの話法を押さえておかなければなりません。

シャーロック・ホームズに描出話法がでてくるのか

さて「シャーロック・ホームズ」シリーズの中に描出話法があるかないか、ネイティブでも答えられる人はそう多くないはずです。全作品を読んだとしても、そんなことを気にしながら読む人はほとんどいないでしょうからね。やはり、推理小説の性格上、直接話法が多いのですが、答は「ある」です。

「バスカヴィル家の犬」のなかで、ヘンリー・バスカヴィルが、ミス・ベリルに求婚をしたとき、兄のステイプルトンが狂ったような形相で走ってきて妨害した、という話をワトソンにします。ここで描出話法が使われています。新潮社の翻訳の中からどの部分が描出話法か、当ててみて下さい。以下の文章は、ヘンリー・バスカヴィルがワトソンに話している直接話法の内側です。

そして私は言葉をつくして結婚を申し入れたのです。けれどもその返事を聞かないうちに、ステープルトン君が狂ったような顔をして駆けつけてきたのです。あの男はまっ青になって、燃えるような眼をしていました。私がベリル嬢に何をしたというのでしょう❓彼女がいやがるようなことをしたとでもいうのでしょうか❓それとも、従男爵であるがゆえに、勝手なまねをしてもいいと私が思っているとでもいうのでしょうか❓あの男があの女の兄でなかったら、あいさつのしかたもありますが、兄だからしかたがない、私はありのままに恥じるところのない自分の心境をうちあけて、早く結婚の承諾をあたえてほしいといってやりました。

やはり、日本語では難しいですね。ただ、ワトソンに向けて話しているのに、いきなり自問している文章がありますよね❓ちょっと妙じゃないでしょうか❓そうです❗じつは❓のついている3文が描出話法です。描出話法の目印として ❗ や ❓ はよく使われる記号です。もちろん、手がかりがない場合も多いのですが、❗ ❓ は親切な目印なのです。残念ながら、新潮社はここを直接話法のままで翻訳していますね。

描出話法にした理由

なぜ、ここを描出話法にしたかですが、二重引用符を避けたかったのも、ひとつの理由でしょう。しかし、シャーロック・ホームズのほかの作品では二重引用符がバンバンでてくるものもあります。やはり、ステイプルトンの罵倒が書くのをはばかられる内容だったと想像させるため、というのが大きな理由だと思います。

原文を見てみましょう。太字の部分が描出話法です。

With that I offered in as many words to marry her, but before she could answer, down came this brother of hers, running at us with a face on him like a madman. He was just white with rage, and those light eyes of his were blazing with fury. What was I doing with the lady? How dared I offer her attentions which were distasteful to her? Did I think that because I was a baronet I could do what I liked? If he had not been her brother I should have known better how to answer him. As it was I told him that my feelings towards his sister were such as I was not ashamed of, and that I hoped that she might honour me by becoming my wife.

「描出話法」と「間接話法」部分を全部「直接話法」に変えて訳してみます。描出話法として読むと❓がヘンリーの「自問」ではなく、ステイプルトンの「詰問」になることを確認してください。

そんな話をしている最中に「結婚してほしい」とプロポーズした。なのに彼女の答えを聞く前に、あの兄貴が狂ったような顔で突進してきたんだ。興奮して顔面は蒼白、目は殺気だっていた。「おい貴様、妹になにを(ピー)してやがるんだ❓よくもいやがる妹に(自粛)したりできるな❓準男爵ならどんな(ピー)をやっても許されるとでも思ってやがるのか❓」彼女の兄でなければ、こんなことを言われれば、ただではすまさなかったはずだ。しかしここは我慢して「妹さんへの気持ちに何ひとつやましいものはありません」「彼女に妻になっていただければこの上ない光栄だと思います」と言ったんだ。

直接話法にすると、読者が暴言のひどさを想像する余地がなくなってしまいます。上の「ピー」「自粛」というのは、描出話法なら、こういう効果があるだろう、という説明のために付け加えたものです。つまり、ここでの描出話法は、遠回しに表現することによって、もっとひどいことを言われたと想像させるために利用されているのだと思います。直後の「こんなことを言われたら、普通言い返すが」という文もその印象を強めていますし、続く会話でワトソンが「そんなことを言ったのか」と驚いたとき「それ以上をな」と答えています。どんなすごい罵倒を浴びせられたんだろうと読者は想像するでしょう。まあこの時代のイギリスですから、F(ピー)king とかはないでしょうけどね。

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