ホームズとワトソンの関係

ホームズとワトソンの関係、というのは簡単と言えば簡単、複雑と言えば複雑で、やはり二人の関係に注意をしておかないと、ストーリーの理解が深まらないことがあると感じます。

バスカヴィル家の犬の冒頭、ホームズはワトソンに依頼人が忘れたステッキについて推理をしてみろと言います。そして、ワトソンがこういう人物だと推理するとそれに対して、ホームズはこう答えます。

“Good!” said Holmes. “Excellent!”

この部分がどのように翻訳されているかを確認すると、以下のようになります。

「ほう!おみごと!」 新潮社

「いいぞ!おみごと!」とホームズ。 光文社

「えらい!」とホームズは言った。「すばらしいよ!」 早川

「うまい!」ホームズはいった。「みごとだ!」 創元社

「いいぞ!」とホームズは言った。「見事だ!」 河出書房

実質的に good と excellent だけの文をなぜ調べるのかですが、じつは、最初はスルーしていたのですが、このあと、ワトソンが追加の説明をしたときのホームズの返答に、まてよ?と思い始めたのです。

“Perfectly sound!” said Holmes.

ピンときませんか? そう、欧米の学校の評価と同じなんですよ。 Good❗, Excellent❗ と ❗ がついているところで、既にわかっておくべきでした。先生が生徒に答えさせて、それをすぐ Good! とか評価をするシーン、洋画の学園ものでもありますよね。ちなみに、Good! は「いい」ではなく、「まあまあ」という評価なんですが。

英国人なら”Good! Excellent!” の時点で、ホームズが教授、ワトソンが生徒、という配役だと気づいていたはずです。”The Yellow Face” などの短編の場合、”as a professor” とか、ズバリ書いてくれていますから、わかりやすいんですが、「バスカヴィル家の犬」は長編なので、まわりくどいですね。

では、Perfectly sound! は?これは、Good!, Excellent! の上なので、Perfect!と来るぞ、と思わせて、 …ly sound! とひねった返答です。だって、「完璧」ではホームズが推理を追加できませんからね。ちなみに、ストランド版 バスカヴィルの家の犬を翻訳したときは、それぞれ、「70点!」「85点!」「満点かな!」のようにしました。

だからなんだ?

ホームズが教授、ワトソンが生徒なんて、あたりまえの設定じゃないか、それが分かったところでなにか変わるのか?と疑問になるでしょうが、意外にもあれこれ納得できる部分があるんです。

たとえば、次のセリフはどうでしょう。

“Really, Watson, you excel yourself,

「ワトソン、君は自分自身を越えた」ということですけど、先生が生徒に言うなら?たとえば「ワトソン、君にしては上出来だよ」となりますね。こんな言い方は、先生と生徒以外では使えないはずです。

そのあと、ワトソンからステッキを取り上げて、じっくり調べたホームズは、こうつぶやきます。

“Interesting, though elementary,”

有名なセリフですよね。「面白いな。初歩だが」という訳が多いのですが、すでに教授と生徒というシチュエーションになっているのですから、これは、elementary, intermediate, advanced (初級,中級,上級) の elementary と考えるべきでしょう。ホームズはワトソンに問題を出し、けっこうまともな答が返ってきたので、自分で調べ(ひとりだけルーペを使うのは、反則ですよね)、「興味深いが、初級問題だったからな」と負け惜しみを言っているわけです。

もうひとつの有名な台詞はどうでしょうか。

You know my methods. Apply them!”

You know my methods.” と、頭ごなしに決めつけてますよね。偉そうじゃないですか。「メソッド」と「アプライ」いずれも学校くさいです。数学で、応用問題が解けない生徒に対して教授が「公式は覚えているんだろう?それを当てはめてみろ!」とか、そういう口癖を思い出したりしませんか?

冒頭のエピソードの意味

そもそもホームズがワトソンにステッキを調べさせ、その答えを評価する、という冒頭のエピソードはなんのためにあるのか、ということですが、これは「バスカヴィル家の犬」全体の縮図になっているのです。

この物語で、ホームズは自分の代理としてワトソンをバスカヴィル館に送り込み、ワトソンはホームズに「レポート」を送ります。つまり、ワトソンのステッキの調査と回答を大きく展開したのが「バスカヴィル家の犬」全体のプロットになるのです。巧みな構成だと思います。単なる「つかみ」のエピソードに見せて、ちゃんとした導線になっているんですから。

ワトソンは「フィールドワーク」の最中に、ホームズがロンドンで逃がした男を捕まえてやろうと決意し、こう思います。

It would indeed be a triumph for me if I could run him to earth where my master had failed.
「先生が逃がした男を捕まえれば、絶対にこっちの勝ちのはずだ」

ワトソン、けっこう根に持ってますね。ホームズをぎゃふんと言わせてやる、と文句のつけようのない回答を目指しています。

ラストシーンもやっぱり教授と生徒

この教授 vs 生徒という構図は最後の場面まで、途切れることなくつながっています。問題が解決し、ホームズが教授として解決の過程を講義することになるのですが、ワトソンが何を訊いてもホームズは即答します。こういうとき、生徒は先生の鼻をあかしてやろうと、無茶な質問をしたりしませんか?そうすると先生は、「おいおい、そんな質問はないだろう。いくらなんでも、そこまでは答えられるもんか」とか言いつつ、「まあ可能性は3つあるかな。その1…. その2…. その3….」とか答え、最後は「ああ、こんな時間か、講義はここまで。メシでも食いにいこう」などと閉める。講義の切り上げ方としてよくありそうじゃないですか。これがそのまんま「バスカヴィル家の犬」のラストシーンなんです。

こちらの記事も人気です