日本の「ホームズ」…… 跳弾に死す

シャーロック・ホームズは、人を馬鹿にしたり、尊大すぎる態度をとるという、欠点もありますが、他を威圧するキャラクターであることは一貫しています。

「唇のねじれた男」で、ワトソンは「言葉はていねいでも、支配的に言われる」と、依頼を断りにくい、と書いていますし、「孤独な自転車乗り」では、次のようなシーンがあります。

The strong, masterful personality of Holmes dominated the tragic scene, and all were equally puppets in his hands.
「ホームズの強靭な支配的性格が惨劇の場を制圧し、誰もが言うなりになった」

悪党でさえも逆らえないというホームズの強烈なキャラ。原文ではそこかしこに感じられるのですが、邦訳になると、それが骨抜きにされる場合が多いのです。焼きたてをバリッと噛み砕く気分で、湿気た煎餅を噛んだことがありますか?色や形は同じなのに、ヘナッとして歯ごたえのない、あの情けなさ。そんな感じです。

「赤毛組合」を例にしてみましょう。もともとこの短編はホームズの二面性を強調している作品で、あるときはパイプを吹かしながら肘掛けイスに座り続けているかと思えば、次の瞬間には猟犬のように犯人の跡をしつように追う。うっとりと音楽を聴いた同じ日、犯人と激突する。そして、問題が解決されると、もう気分が沈んでやる気がなくなってくる。そういうキャラの変化が読みどころです。その山場、犯人を待ち伏せる場面で、ホームズは敵の準備が意外に進んでいるので、真っ暗闇にして待ち伏せするしかない、と宣言します。犯人たちは武装していると予想したホームズは、対抗するため、ワトソンにあらかじめ銃を持ってくるように指示してあります。いよいよ、これから対決というシーンを創元社版で読むと、以下のようになります。(強調は引用者)

それでまず、ぼくたちの配置をきめておきましょう。不敵なやつらだから、こっちが不意をついているのであっても、用心していないとけがをしますよ。ぼくはこの籠のうしろにかくれるから、あなたはそちらにかくれてください。それからぼくが敵にあかりを向けたら、すばやく飛びだしてください。もし、やつらが発砲でもすれば、ワトスン君、えんりょしないで射っていいよ

狭い金庫室でこれから銃撃戦が起ころうかという緊迫した場面にしては、ゆうちょうに感じませんか?どの訳文もだいたい似たような雰囲気ですので、最後の一文だけ、各文庫から引用してみます。

もし向うが発砲したら、ワトスン君はかまわないから容赦なくうち倒していいよ 新潮社

もし発砲してきたら、ワトスン、遠慮なく撃っていいよ」 光文社

もし相手が射ってきたら、ワトスン、きみも遠慮せず射ちまくってくれ」 早川

もし、連中が撃ってきたら、ワトスンも、遠慮なく引き金を引いてくれたまえ」 河出書房

もし相手が発砲するようだったら、ワトスン、遠慮せずに撃ってくれ」角川

さて、そろそろ原文を味わってみましょう。

And, first of all, we must choose our positions. These are daring men, and, though we shall take them at a disadvantage, they may do us some harm, unless we are careful. I shall stand behind this crate, and do you conceal yourself behind those. Then, when I flash a light upon them, close in swiftly. If they fire, Watson, have no compunction about shooting them down.”

この文章がどういうニュアンスか、それはネイティブでないと確かなことは言えません。しかし、”do you conceal” という命令形、そして、”have no compunction” という表現、極めて冷徹・高圧的に感じます。明らかにシャーロック・ホームズはこの場面でコマンダーになっています。スコットランド・ヤードの警部もいるというのに、ホームズは司令官として皆に指令を出しているわけです。

そして、決定的なのがワトソンに対する指令です。直訳すれば、「敵が発砲すれば、ワトソン、冷酷に射するのに、一切、良心の呵責を感じるな」となります。

日本の翻訳者は、の一字から逃げています。辞書をひけば、shoot down が「(冷酷に)射殺する」という意味だと載っているにもかかわらず、down を訳に反映させているのは、新潮社の「射ち倒す」だけで、ほかは down から目をそむけています。「射ち倒す」という表現にしても、あいまいです。だれひとり「射」を使いたくない日本の翻訳者は、獲物を前にしたホームズの迫力に、まるでたじろいだようですが、その反動として、ホームズのキャラが殺されてしまいました。

試訳

「まず最初に、陣形を決めておく必要がある。相手は何をするかわからん危険な連中だ。不意打ちできるからといって、甘く見れば、怪我をするかもしれない。僕はこの箱の後ろに陣取る。君らが身を隠すのは、その箱と向こうの箱だ。あとは、僕が敵に照明を当てるのを合図に、一斉に取り囲む。ワトソン、敵が発砲すれば、容赦なく急所を撃て」

これだけ、万が一の準備をしておきながら、いざ犯人を逮捕するにあたって、ホームズは相手の銃に棒で対抗し、発砲を許さず生け捕りにする。ストランド・マガジンの読者の心をつかむのも当然のカッコ良さではないでしょうか。ホームズはいわゆる「安楽椅子探偵」ではなく、多面性をもつキャラクターなのです。訳文でも変化を期待したいところですね。

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