バスカヴィル館、窓は二階か三階か

Hardwick Hall(デカイ!)

「バスカヴィル家の犬」で、深夜に怪しい行動をする執事のバリモアの後をつけ、屋敷の窓に燭台をかざしていたバリモアをヘンリー・バスカヴィルが問い詰めると、バリモアは窓の戸締まりを確認していた、と答えます。それに対するヘンリー・バスカヴィルの質問がこれです。

“On the second floor?”

各文庫の訳を見てみましょう。

「二階の窓のしまりを見る必要があるのかね」 新潮社

「二階の窓を?」 光文社

「二階の窓をか?」 早川

「二階をかい」 創元社

「三階をかい」 河出書房

おもに二階ですが、河出書房の訳だけ三階になっていますね。

さて、”the second floor” は二階か?それとも三階か?英語を習った人なら、アメリカ英語では二階、イギリス英語では三階、と教えられたかもしれません。先生の言うことは絶対!ゆえに、イギリスの建物バスカヴィル館では三階である。以上!陪審員解散!と判決が出そうです。ということは、河出書房以外の出版社の訳は間違いで、second が2だから機械的に二階と訳した凡ミスなのでしょうか?

判決に異議あり

じつは、ここが悩みどころで、このセリフを言っているヘンリー・バスカヴィルは、生まれこそデヴォンシャーだが、若くしてアメリカに渡り、このシーンの直前までアメリカ大陸で暮らしていたのです。したがって、彼の英語は「アメリカ英語」になっており、その「アメリカなまり」を小馬鹿にしているような描写も見られます。

つまり、アメリカ英語のセリフと考えれば、”the second floor” は、「二階」なのかもしれない。しかし、いくらアメリカ人でもイギリスに来て、イギリスの家に住んでいて、アメリカ流の階数表現をするはずがない、と思うかもしれません。ところが、ちょっと前のシーンにある、次のヘンリー・バスカヴィルの言葉を読むと、そうとも言えない気になります。

“You would have thought the middle of that prairie a fairly safe place for a man to be private,”
プレーリーの真ん中なら、まず誰にも見られないと思ってよさそうな場所だろう

仮定法の中とはいえ、 moor を prairie と呼んでいます!「プレーリー」は北アメリカの草原の固有名なので、イギリスに「プレーリー」などあるわけがない。「プレーリー」は肥沃で、トウモロコシの栽培や牛の飼育などがさかんな穀倉地ですから、アメリカ育ちで牧場を経営していたヘンリー・バスカヴィルは、まさにそこに住んでいたはずです。だから、つい言い間違えた、ということでしょうが、本来なら、そこまで親しい場所であればなおさら、陰気で不毛の「ダートムーア」を「プレーリー」と呼ぶのはおかしいでしょう。それをあえて間違わせるということは、ちょっと住んだくらいで、アメリカ英語は簡単には抜けないと言わんばかりです。それって、アメリカ人は草地を見たらどんな場所でも「プレーリー」で通す、ボキャブラリの貧相な国民だ、ってことですかね?この調子なら、祖先の館の階をアメリカ流に呼ぶことだって、やりかねないことになります。

館の規模

しかも、三階説には別の難点があります。そもそもダートムーアのような閑散とした場所に、三階建ての建物は立派すぎるのです。もちろん城なら別で、銃眼のついた高い塔があることを考えると、要塞化されていたとも考えられますが、マナー・ハウスは二階建てまでが普通です。コナン・ドイルが着想を得たという、Clyro Court も写真を見る限り二階建てですし、バスカヴィル館のモデルと言われる Fowelscombe House の廃墟も、二階建てのようです。

Clyro Court

1710年のバッキンガム・ハウスも二階建て。このころ、既にバスカヴィル館はあったんですよねえ?

現存のイギリスのマナー・ハウスを見ても、ほとんどが二階建てで、三階建ては少数です。そもそも、エレベーターのない時代、腐るほど土地があるのに、あえて不便な三階建てを建てる積極的な理由はそんなにありません。

屋根裏部屋?

もちろん、二階建ての家の屋根裏部屋なら、階数的には三階ですが、バリモアはヘンリー・バスカヴィルの部屋の前を通り、後をつける際に階段を使っていないことから、問題の窓がヘンリーの部屋と同じ階なのはまず間違いないようなのです。館の主人の部屋が屋根裏とはいくらなんでも変じゃないでしょうかね。

「バスカヴィル家の犬」の映画のロケにも使われたことがある Castern Hall は三階建てのようですが、三階の窓がひさしのすぐ下まで来ているし、下の階より小さいので、もしかすると、これも三階は屋根裏部屋扱いなのかもしれません。すくなくとも居住性は二階より劣りそうです。

結局どっち?

さあ?ミステリーですね。霊媒師にコナン・ドイルを呼び出してもらって聞きたいところですが、もしかしたらそれでも「藪の中」かもしれません。ストランド版 バスカヴィルの家の犬では三階と訳していますが、今でも「やっぱり二階かなあ…」とグズグズ考えるときがあります。

こちらの記事も人気です