ワトソンのユーモア

ワトソンは伝記作家としての意識からか、みずからジョークやユーモアを言うことは少なく、逆にホームズから冷やかされる立場にあることが多いのです。ところが、堅い文章中にかすかなユーモアを忍ばせる場合があります。不意打ち感があり、読み落とすことも多く、理解できてもそれを簡潔な日本語にするのが困難な場合もあります。

アイリーン・アドラーの紹介

シャーロック・ホームズの登場人物のなかで、もっとも強烈な女性キャラと言えば、アイリーン・アドラー以外にはありません。A Scandal in Bohemia(ボヘミアの醜聞)での思わせぶりな紹介。ホームズを出し抜く鋭さ。王様を手玉にとり、しゃあしゃあと自分のポートレイトを残す不敵さ。すべての点で唯一無二の女性キャラクターです。男性でも、彼女に匹敵するキャラとなれば、モリアーティ教授あたりを持ち出さなければバランスしないのではないかと思われるほどです。

「ボヘミアの醜聞」の書き出しはかなり冗長で軽さに乏しく、意図的でしょうが「純文学」を志す青年のような、肩に力が入った感じさえします。ところが冒頭のパラグラフの最後、アイリーン・アドラーを紹介する決定的な一文に微妙なユーモアが仕込まれているのです。

… that woman was the late Irene Adler, of dubious and questionable memory.

ここを、文庫本の翻訳で見てみましょう。

その女性こそは、かのいかがわしき記憶にのこる故アイリーン・アドラーその人である。 新潮社

それが、世間には正体不明の怪しい女として記憶に残る、いまは亡きアイリーン・アドラーなのである。 光文社

その女性こそ、いかがわしい女として記憶されている、いまは亡きアイリーン・アドラーだ。 早川

そしてその女性とは、正体不明のあやしい女として人々の記憶にのこっている、いまはなきアイリーネ・アドラーである。 創元社

その女性というのが、謎に包まれた女として世の人の記憶に残っている、いまは亡きアイリーン・アドラーである。 河出書房

それがいまは亡きアイリーン・アドラー、謎に包まれたあやしげな人物として記憶に残る女性だ。 角川

残念ながら、訳文からユーモアらしきものは感じられませんね。

怪しい女

この文章のキモは、”of dubious and questionable memory” の部分です。”of … memory” というのは、亡くなった人につける頌徳の定型文です。新聞の死亡欄などで見かけることもあります。聖人や王様などに使われる場合が典型的で、普通なら “of blessed memory” などと、立派な形容詞を入れる場所に “dubious and questionable” という、悪い形容詞を重ねて入れているところが、ほめているんだか、けなしているんだか、理解に困る表現になっています。「ほめ殺し」ならぬ「けなし上げ」?もしかするとこれは、アイリーン・アドラーをシャドウ・クィーンに擬しているのかもしれません。ともかく、memory を「記憶」として「怪しい女として世間の記憶に残る」と訳すのは、間違いです。これは、あくまでもワトソンが創作した敬称なのですから。コンテキスト的に考えても、アイリーン・アドラーは有名なプリマドンナで、ボヘミア王とのスキャンダルは未然に防がれています。アメリカの銀行強盗犯として悪名をはせたボニー・パーカーのように「怪しい女」として世間の記憶に残ることなど、ありえないでしょう。

さらに、これは読み過ぎかもしれませんが、この定型文はやや宗教くさく、とくにローマ・カトリックとユダヤ教の聖者に使われている例を見かけるので、アイリーン・アドラーがローマ・カトリックだと暗示しているかもしれないと疑っています。これは、もちろんただの当て推量です。でも、1%でも可能性がありそうなら、念のために疑問として置いておく方がいいのです。何か別の気づきの種になるかもしれませんしね。この見方が正しいかどうかは別として、アイリーン・アドラーがローマ・カトリックだったのは、結婚式をあげる「セント・モニカ教会」の名前からして、確かだと思います。シドニー・パジェットの挿絵を見ても、神父の服装はローマ・カトリックに見えます。それに対抗するホームズは「プロテスタント牧師」に扮して戦いを挑みます。

日本語にはしにくい

このあたりまで理解しても、実際にどう訳文に反映させるかとなると、なかなか難しいところです。このサイトの目的は原文を詳しく読むことで、翻訳は二の次なのですが、ここで白状すると、この “the late Irene Adler, of dubious and questionable memory” を「疑惑院怪訝清大姉 アイリーン・アドラー」と訳してみたらどうかと考えたことがあるのです。しかし、直後にダメだとわかりました。原文の微妙なユーモアと畏敬の念が、激しい違和感とおふざけになってしまって、ドラマがぶちこわしになるからです。それに戒名は各人固有のもので、日本では聖人だけではなく死者全員に与えられるという点でもまったく別物です。いくらジョークでも他人の戒名を俗人が命名するのは不敬・不信心過ぎ、ワトソン博士のような常識人のやることではありません。そもそも仏教徒のはずがない?まったくその通り。使えない翻訳案をあえてここで紹介したのは、無茶な表現を紹介することで、この文中にわずかなユーモアと尊敬が含まれていることを、よりはっきり説明できるかもしれないと思ったからにすぎません。

それが、誉れ高き、謎多き、故アイリーン・アドラーだったのだ。

いまひとつ、いまふたつ、ですが、あまり日本語表現に時間をかけたくないので、ご容赦いただきたく。

Of Dubious and Questionable Memory

なお、”of dubious and questionable memory” は、英語ネイティヴにとって(少なくともアイリーン・アドラーのファンにとって)、かなり印象的なフレーズらしく、Of Dubious and Questionable Memoryというミステリー作品あり、Dubious and Questionable Memories: A History of the Adventuresses of Sherlock Holmesというアイリーン・アドラーのファンサイトの機関誌らしき出版物も出ています。”of dubious and questionable memory” = “アイリーン・アドラー” 常識でしょう?という世界があるようです。

Wikipedia の Irene Adler の項目には、「ボヘミアの醜聞」の第一パラグラフを全部引用した上に、This “memory” is kept alive by a photograph of Irene Adler(この “memory” はアイリーン・アドラーの写真に生き続けている) とまで記述されています。たぶん、ファンの手によるものでしょう。アイリーン・アドラーの “dubious and questionable memory” は、この人たちの心に生きているんですね。

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